布教

 

自分が好きなものを紹介してくれる人にはツーパターンあると思う。

一つはごり押しパターン。

二つはごり押さないパターン。

 

(自分は悔しいことに前者寄りなのだが、周りの友達は後者がほとんどなので、本当に恵まれている)(みんなありがとう)

 

特にこれが表れるのが、音楽という分野だと思う。

 

中学1年からオーケストラをはじめ、中2で弦楽合奏、大学でもオーケストラに入団するなどコテコテのクラシックおばさんとなった私は、自分の好き=他人の好き、じゃないと嫌だ、みたいな考えをしていた時がしばらくあった。

特に好きだったのがシベリウス作曲のフィンランディアだ。いやこれは本当にもう、言語化するのが非常に難しいのだが、演奏開始直後にまばたきを三回したらヘルシンキ郊外にいました、みたいな曲で、力強さと繊細さ、そしてフィンランドの寒さと雪解けをうまく表現した曲で、心の芯まで響くものがある、有名すぎるのが納得できる最強のシベ曲だ。いやシベ曲ってなんだよ。

有名な人ほどアンチが多いというのは全くそのとおりで、フィンランディアにもアンチが多い。というかシベリウスのアンチが多い。それが許せなかった。「フィンランディアはちょっとな~」という人を聴くたびに自分の恋人をバカにされている感じがして、それまでとっても楽しいことがあったとしてもそれが3割減になるくらい悲しかった。

 

でも思い返すと、私自身嫌いな作曲家もいて、たとえばモーツァルトは聴く分にはおちゃらけてる感じがして楽しいけどいざ弾くとなったら調性の複雑さに白目をむくし、たとえばドヴォルザークだったらありえないほどの高音と臨時記号の多さ、そして何より横のつながりが強くてアンサンブルが難しい(そして曲そのものが難しいのでアンサンブルの域に達するまでに時間がかかる)など、さんざん偉そうに文句を言ってきた割に、自分の好きなものを批判する人は許せない。

 

まあでも人間ってそういうもんだよね、と思っている。自分の好きな人の悪口言う人がいたら絞め殺したくなるし、ツイッターでアンチのコメント検索して「ハ?みじんこは黙っとけ」とも思う。相手を理解することは難しいけれど、もうすこし器が大きければ、シベリウスアンチにも優しくなれたかもしれない。

 

それでは。