左足首の不幸

 

ここ最近、転んでいない。

 

 

 

あれです。人生における詰み詰みタイムはたくさんあります。何度もこけました。

物理的に、なにかに躓いて、地面に倒れこむ、ということです。

 

 

 

ちゃんと転んだのは何年前になるんだろう。

スカートのすそを踏んだり、階段をうまく登れなかったり、パソコンのコードがあるのに気づかなかったり、歩きスマホをしていたり、美味しそうなパン屋によそ見をしていたり、初めての道を歩くときだったり、転びそうになった時はたくさんあるけど、しりもちをついたり、顔と地面が急接近して天地が逆転したような感覚を最近味わっていない。

 

 

 

 

 

転ぶといえばつきものなのが、骨折である。

 

 

いや話飛躍しすぎじゃんと思ったそこの方、油断は禁物である。

私は転んで、左足首を2回骨折したことがある。

 

 

 

 

一回目は小学4年生の時。

 

完結に言うと、階段から飛び降りて着地に失敗して、折れた。

 

 

当時は色々あって某旧ソ連国の首都に住んでいて、アパート?マンション?アレが何だったのかは分からないが、とりあえず15階くらいの建物の3階の一室に住んでいた。

 

 旧ソ連国をなめてはいけない。

大雨でマンホールが壊れる。

建物が傾いている。

公園にリスがいる。

コンクリートが陥没しそうになっている。

すぐ停電する。でも星がキレイ。

エレベーターも1週間に1回は止まる。

 

 

 

そう、その日はマンションのエレベーターが止まっていたのだった。

そしてその日に限って、お弁当を忘れてしまったのだ。

 

 

1階に降りてスクールバス(これはなぜか毎日定刻に来ていた)を待っている途中でその事実に気づいた。急いで取りに帰る。3階までかけあがる。お弁当袋を握りしめる。階段にダッシュ

 

 

小4というのは無自覚に無鉄砲で、

「まあ、いつも階段2段飛ばしで降りてるし、5段くらい抜かして飛び降りても大丈夫でしょ」

とか、すぐ思ってしまうのだ。 あーあ。

 

地面を離れた時に、あ、と一瞬思った。

 

時すでに遅し。1秒後、変な角度でぐにゃりと左足が踊り場に着いた。痛い。普通に、痛いです。でも、バスがきてしまう。とりあえず残りの階段を下りて、バスにめがけて走った。

 

 

その日は普通に学校生活を送った。昼休みも、左足をかばいながら鬼ごっこをした。教室移動も何なりと行った。まあ、なんか、痛いけど一日経ったら治るでしょ、という短絡的な思考で乗り切った。

 

でも家に帰って自分の足をまじまじと見ると、この左足首、右足首の2倍くらいの大きさに赤く膨れ上がっているのだ。そこで私は事の重大さと足首の痛みを自覚し、泣き叫んだ。

 

 

 

 

 

うえええええ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~痛いよお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っていうか怖いよお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~捻挫ですか~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~まさか骨折ですか~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~嫌だよう~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

父の運転で病院に連れ込まれ、レントゲンを撮られた。この時、現地語ができれば、と心底思った。病院で何を言われているのかわからないのは、本当に怖い。

 

 

 

とりあえず、骨折だった。全治何週間かは忘れたが、当時の私にとっては途方もない長さだった。

 

絶望した。

 

歯医者にあるような寝台に寝かされ、臭いギプスをまかれ、異様にカラフルな松葉づえを渡され、帰らされた。屈辱的だった。もう鬼ごっこもできないし、すべりだいもできない。誰かの手を借りないと生きていけないのはつらい。

 

 

でも思っていたほど生活はつらくなかった。

周りの友達は松葉づえに興味津々で、「貸して!」「どうやって使うの?」と私の周りに集まってきた。小学校では陰キャを極めていたが、これをきっかけに陽キャの世界に一歩踏み入れることができたのかもしれない。みんなありがとう(彼らはこのブログを読んでいることは絶対ないだろう)。

当時助けてくれたみなさま、ありがとう。

 

 

 

 

 

これから10年弱。

二回目の骨折は高校3年生の時だった。

 

高3の体育はクラス対抗の試合形式で行われていた。

卓球、バスケ、サッカーの3種目からひとつ選んで、通年試合をする。

中1の時にバスケ部にいた私は問答無用でバスケを選択、まあどうにかなると思っていた。

 

 

バスケを選択した人たちは割とガチガチの体育会系が多くて、全試合ガチ、応援もガチで、体育館に響き渡る奇声とドスの効いた「パス!!パス!!」

めちゃくちゃ楽しかった。

 

それは9月初旬のある試合だった。

 

 

普通、転ぶときは何かきっかけがあると思う。石とか、段差とか、コードとか。

でもその時は何もなかった。

 

何もないところで、試合中いきなり転んだ。

 

この時は小4の時と違った。立ち上がれない!!痛い!!

 

別のクラスの友達の手を借りて立ち上がり、びっこひきながら保健室に行った。

卒業したので言い放題いわせてもらうと、この学校の保健室はあまり良くなかった。

その時も、「捻挫ですね~」といわれ、テーピングを施され、帰された。

え、いや、めちゃくそ痛いんですけどォ!!

てか、ローファーめちゃめちゃキツいし!

 

 

やっとこさ帰宅し、少し嫌な予感がしたので、家から車で15分くらいの外科に行った。

ここには、美味しんぼとかテルマエ・ロマエとか、良いマンガがたくさんあった。いや、スキマ時間こそ勉強しろよ。高3だろ。受験生だろ。

 

足を何度も色々な方向にひねられ「痛いですか?」と聞かれた。いや、めちゃくちゃ痛いです。

 

ここでもレントゲンを撮られた。それをみて、

 

「あ~~、ヒビ入ってますね~~~」

 

 

今回はあまり絶望しなかった。むしろ、転んだ瞬間から「折れたか?」と思っていたので、あっけらかんとしていた。この時は、母のほうが絶望していた。

 

母「これから受験本番ってとこなのに、、、、」

私「うん、まあでも、しょうがないですね、、、」

 

今回もギプスをまかれ銀色の松葉づえを渡され、定期的に検診に来るよう言われ、帰宅。

 

今回は思いっきり他人に迷惑をかけまくった。学校まで母が送ってくれたり、教室移動の時には友達に教科書をもってもらった。エレベーターも使いまくった。

大嫌いな数学の先生には変な目で見られた挙句、「ハハ、どうしたの?」と苦笑いされた。これが一番悔しかった。

 

今回も皆松葉づえに興味津々だった。色がかっこいいらしい。

 

 

足が折れていることを口実に勉強の手を少しだけ抜いた。

友達からは「折れてる分ジッとできるから勉強に集中できるんじゃない?」と言われたが、まあ、人間、そうはいかない。

 

10月下旬にはギプスが取れ、その1か月後にはテーピングも取れた。でもその頃には体育の授業も終わろうとしていて、結局最後に1試合くらい出場して学期が終了した。

 

 

 

 

今でも、今日みたいな雨の日には左足首がすこしムズムズする。

小4と高3の歴史が積み重なっているこの左足首、もう当分折れてほしくない。

 

 

でも、スポーツしたいなあ。

誰か一緒に、バスケとか、バドミントンやりましょ。

 

それでは。