良いタイトルが思いつきませんが、これはとても大事な話
ここまできて、音楽について書いてないことに気づいた。
とても陳腐な言葉だが、私は本当に、No Music, No Lifeみたいなところがあって、生まれた瞬間から音楽が大好きだった。
バイオリンを始めたのは3歳か5歳かくらいで、一回楽器が嫌いになって辞めた時もあったけど、結局まだ続けている。
高校生の頃は、脳みその9割が音楽のことで、残りの1割は数学の問題集ノートの再提出をいかに誤魔化せるかについてひたすら考えていた。
大学生になって、部活以外の時間が圧倒的に増えた今、音楽のことを考える時間は減ってしまったけれど、やっぱり大好きで、ツイッターで呟いている内容の半分くらいは音楽についてなんじゃないかと思う。
今日は音楽と技術についてお話したい。
これについて思うことがある人は、たくさんいると思う。
私の意見に反対の人も何万人もいると思うが、とりあえず、書きたかったので。
私は心が狭い人間なので、オーケストラとか、音楽っていうものは、いかに楽しくやるかより前に、技術がないと何も始まらないと思っている。
「音を楽しむと書いて音楽でしょ!楽しく演奏しようよ!」
という人は少なくない。
この気持ちはとても分かる。ていうか、完全に賛同している。楽しまないと良い音でないし。
でも、こういうことを言うのは、決まって技術がある人なのだ。
彼らは、音楽の崇高さを知っている。
突き詰めれば突き詰めるほど、どんどんのめり込んでいって、音楽にドップリ浸かることができるのを知っている。
プロじゃないから大層なことはいえないが、でもやっぱり、弾けない曲が弾けるようになることは、楽しい。上手くなったら、もっとココをこうしようとか、どう弾いたら上手く聴こえるかとかカッコよく見えるかとか、パフォーマンスとかについて考える余裕ができる。
そう、オーケストラは、パフォーマンスだ!
一種のエンターテインメントなのだ!
これについて反対意見もたくさん聞く。
「楽しんでるだけじゃダメだぞ」とか、「楽しそうに弾く」ことに対して厳しい反論をする人もいる。
こういう人は本当に損していると思う。
人生、楽しんだもん勝ちだ。
楽しく弾いて、何が悪い!
濃密でトロリとした音が出ていても、常に口が一文字で眉間にシワが寄っていたら、本当にコイツは音楽が好きなのか?と思ってしまう。
(まあ、そういう顔をしなければいけない曲もあるが)
逆に、どんなにカスカスの、冬の乾燥した唇みたいな音が出ていても、自信たっぷりに笑顔で弾いている人を見たら、何だかちょっとワクワクしてしまう。
でもソレが許されないのが、このオーケストラというものなのだ。
バイオリン奏者の私は管打楽器のことについては語れないので触れないが、弦楽器というセクションは、1人が少しでも違う音を出すだけで音が濁ってしまい、1人が弓の位置を間違えるだけで、均衡が歪んでしまう。
、、、いやこれ特大ブーメランなので書くのが辛くなってきてるぞ〜〜!
音程クソ悪マンです!!
自戒の念を込めて書きます。
弦楽器界隈では、いかに揃っているかが重要なポイントとなっている。
ということは、誰か基準となる人に揃えなければならないのだ。
そして、その基準となるのが、各パートのトップである。
(オーケストラを知らない人もこの記事を読んでいると思うので解説すると、弦パートトップは、ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの一番前の席、つまり指揮者に一番近い人を指します。後ろの席の人は、パートトップと指揮者と楽譜を同時に見ながら、タイミングを合わせて弾いています。)
そして、パートトップというのは、たいてい、そのパートの中で一番上手い人がなる場合が多い。
ということは、だ。
私のような平部員も、トップと同等の技術を持ち合わせていないと、彼ら彼女らに合わせることはできないのだ!!
ということはつまり、オーケストラにいる限り、練習するしかないのだ!!
解説に書いたように、指揮者とトップと楽譜を同時に見ながら左指と右手を別々に動かすなんて、相当な余裕が必要である。
その余裕は、練習とそれによる技術の向上と自信によって成り立っている。
大変だけど、でもやっぱり、弦も管も打楽器もみんながお互いを見れて、演奏のタイミングがピッタリ合って、一つの音楽を作り上げられた瞬間は、本当に気持ちよくて、何度でも鳥肌が立ってしまう。
やっぱり、楽しく演奏するためには、技術が必要らしい。
精進します。
最後に。
オーケストラ知らない人も、一度これを聴いてほしい。
ちょっとでも、オーケストラのカッコよさに触れてほしいです。
それでは。