暗いなあ

 

ヨーロッパに帰りたい!

 

 

、、なんて書くと、アーなんだこのイキリ外大生は、と思われるかもしれないが、実際私はヨーロッパで育った。

 

小2から小5の間、、、、私たちの世代にとっては全盛期、花男も嵐ものだめもAKBも全部この時期にやってたし、一番楽しい時期だったことだろう。普通に日本にいれば。

ちょうどその時私は半年遅れで放送される笑点と朝ドラと大河ドラマ(なので、11月ごろに歌丸さんが「さて今日は子どもの日ですが」なんて言うのだ)を見るしか術がなく、読むマンガといえばタンタンの冒険かガーフィールド、読む本はJacqueline Wilsonかマジックツリーハウスで、本当によくわからない生活を送っていた。

 

その時のバイタリティは半端じゃなかった気がする。

水道水がその日その日で色が違くても、お米がちょっと黄ばんでいても、半年に一回しか日本からお菓子を輸入できなくても、5月に雪が降ろうとも、マンホールのふたが外れて水があふれている道が通学路でも、スクールバスに間に合わなくて階段を駆け下りていたら捻って足首を折っても、そのスクールバスに蜂が入ってきても、年に1回しか帰国できなくても、初めの3か月は友達がいなくて言語が話せなくても、なんとか生きて帰ってこれた。

カレーパンも肉まんもあんまんも無いからみんなで手作りして、たこ焼きにかけるおたふくソースの量が多すぎて(ソースはなかなか手に入らない)喧嘩して、日本のお菓子を食べる順番を考えて(カールは数少ないので最後の方に取っておく)、なんだか大変だったなあ。

 

小学校も、6年間のうち半分はあっちにいたわけだし、考え方とか、私の根底にあるものはそこで形成されたのではないか。

小3くらいでアメリカの人種差別について勉強したり、小4のクラスで学級委員を決めるときは必ず立候補制で自ら「私に一票を!」というビラをつくって教室の壁に貼っていた。クラス劇では化学物質とか火山になりきって歌を歌った。算数の授業では、早く解き終わったら図書館に行って良かったし、生徒で話し合えばクラス単位(10人くらいだった)の遠足も可能だった。なんだかとっても自由だった。自分は、かなりの変人というわけではないが、ちょっと人と違うなと思うことがたまにある。それの原因はこのヨーロッパ生活だったのではないか、、と今になって思うのであった。

 

それでは。