すごいね~

すごいね、と言われることが最近増えたような気がする。

 

「英語できてすごいね」

「バイオリン弾けてすごいね」

「いろんな国行っててすごいね」

「充実した人生じゃんすごいね」

とか。いや正直うれしくないわけではないし、そう言ってくる人に悪意がないのも知っているけど、でもその「すごい」ことは自然にそうなったわけではなくて、それ相応の努力と苦しみがあったことを分かってほしい。生まれた瞬間から英語が喋れたわけでもないし、才能があったからバイオリンが弾けたわけでもない。いろんな国に行ってるのも人生が充実しているのも、自然にそうなったわけではない。それをさも「生まれつきの、何も努力せずに得た才能」であると勘違いしている人に限って、羨望のまなざしを私に向けてくる。

いやちがうんだよ。全然すごくねえよ私は努力してやっと今の自分になれたんだよ。英語できるようになったのは小学校のころ孤独な環境で血のにじむ思いで勉強したからで、でもそれも全然中途半端だからそこからさらに中学高校で頑張ってやっと習得したものなんだよ。バイオリンだって、それこそ中高の部活引退するまでの5年間は週4日3時間部活で死ぬ気で弾いて、部活ない日は毎日1時間欠かさず練習して、やっとこのレベルになれたんだよ。いろんな国行ってるのは完全に自分の意思だし、長年ためてたお年玉で、先輩とかインターネットとかで死ぬ物狂いで情報を集めて、いろんな選考とか試験とかを通っていきついているんだよ。

もちろん、この努力は言葉にしないと相手には伝わらない。でも、私のことをよく知っている(と思っている)人からすごいね~なんて短絡的なことばを浴びせられると、なんだかとっても悔しい。「大学受験成功したのは帰国子女だからでしょすご~い」とか、いやいや私受験期にはあんま努力しなかったけど、その数年前に苦労したんだよ。友達もいない環境にほっぽり出されて、授業で何言ってるか分からない状態で、一人取り残されて、だれもかまってくれなくて、少なくとも授業で何言ってるかわかりたかったからめちゃめちゃ英語を勉強して、なんとか3か月後にやっと一人友達ができて、それでも全然英語は喋れなかったからずっと泣いて過ごしてたんだよ、自分だって英語頑張ろうと思えば全然ペラペラになれるんに、努力しなかった君が悪いでしょそうやって好き勝手人のこと羨まないでよ、ってめちゃめちゃ思いました高校卒業するときにそう言われたときに。

 

でも最近、3月頭に日本に帰ってきてから会っているみんなはそんな簡単にすごいねって言う人ではないので、なんだかとっても嬉しい。

 

それでは。