受験と三島とLINEとメッセンジャー
メッセージアプリに一番取り憑かれていたのは高3の時かもしれない。
いやシンプルにLINEって言えよって思った方もいるかもしれないが、当時はLINEだけではなく、フェイスブックのメッセンジャーとの二本体制だった。
それぞれのアプリで一人ずつ、別の人と連絡を取っていた。
共通点がいくつかあって、それは2人とも同い年で、他校で、男子で、三島由紀夫に傾倒していた。
女子校6年目の、世間を全く知らない高校生(ここでSound of MusicのSixteen Going on Seventeenが流れる)が男子と、しかも2人の男子と、定期的に連絡を取り合っていたという事実にまず未だに驚きを隠せないが、それはひとまず置いといて。
当時は文学に興味があった。
というか、彼らの話が面白かったのだ。
今でもたまにあの文字列を思い出すときがある。
まずはLINEから。
LINEで連絡を取っていたヤツは三島だけでなく色々な人について詳しくて、もう数年前の会話だからあまり思い出せないが、遠藤周作とか太宰とか芥川とか川端の話を沢山してくれた。ちょうどその年に『沈黙』が映画化されたか何かで、ちょうど話題だった。
その内容が次の日、現代文文学史の小テストに出てきたりして、その旨をまた連絡すると更に蘊蓄を垂れてきた。
三島については特に、彼が提唱している持論があって(『金閣寺』と『葉隠』の因果関係についてであった)これがものすごく興味深い。世界中でその論を知っているのは、彼と、彼の彼女と、私と、その他数名くらいかもしれない。
時は夜の11時、コオロギ以外が寝静まった空気に逆らうような勢いでLINEを交わしていた。
やめ時がわからず、ちょっとお風呂に入って来るわーと言って中断し、でも話はしたい、でも寝たい、というか受験生なので勉強しなきゃいけない、いやでも勉強したくない、と葛藤続きの毎日だった。
今思い返すとコイツは「何も予備知識がない相手に物事を説明すること」に相当長けているヤツだった。
ブンガクとかニホンシに弱く、かつ高2の冬までちゃんと読書をしたことがなく、予備知識云々どころではなかった私にもわかるようにその作家の背景から作品の構成まで、詳しく詳しく、丁寧にしてくれた。たぶん彼は将来出世する。
次はメッセンジャーの野郎だ。
某ナゴヤ国出身のコイツは、三島由紀夫が大大大好きで、定期的にアップロードするフェイスブックの投稿も完全に三島の文体を再現していた(らしい)。
武道に励み習字もし、なんと古風でお堅いやつなんだと思っていたが、ある朝の通学時間に「これ見て」とYouTubeのリンクを送りつけられたことがある。これ。
いや、朝の7時半、満員電車の中でこれを見た私の気持ちになってくれ。いやまじで。
三島の話ももちろんしたが、夢日記とか、習字とオーケストラの共通点とか(これはすごい面白かったのでまた別個で話がしたい)、将来どこに住みたいとか、受験勉強の進捗とか、自分の名前についてとか、会話の内容は様々だった。
彼とは、朝の通学時間と、帰りの通学時間がちょうど彼の生活時間と合っていたのでそこでポチポチしていた。
実は私の母校は登下校中携帯を触るのが校則違反だったのだが、それを無視して連絡していたのは、非常にスリリングであった。(こう見えて私は生徒指導を一回も受けたことがない。)
このナゴヤボーイは三島と同じ道を歩むべく勉学に励んでいた。志望先は違えど、一緒に受験期を共にした戦友である。彼は一年遅れて、念願のユニクロ・ティーシャツ大学に進学した。元気かなあ。
2人ともから影響を受けて、受験期真っ只中なのにも関わらず、『潮騒』と『金閣寺』の2冊を読破した。思い返せば受験期、あれほど「勉強」してこなかった人間は私以外いないだろう。
お二人へ。
もし見てたら、、、勝手に書いてしまってごめんなさい。
何かあればご連絡ください。
それでは。