キミの名は、、、!

 

名前は大事だ。

 

なぜならはじめましての人に一番初めに質問することは、たいていの場合が名前であるからだ。

なぜなら名前を聞いたらすぐにその人のことが浮かぶからだ。

なぜなら呼ばれたときに相手が自分のことを認識していることがわかるからだ。

 

 

 

初めてあった人と接するとき一番困るのは、相手の呼び方である。

 

名字で呼ぶか。

下の名前で呼ぶか。

ちゃん付けか。

君付けか。

さん付けか。

呼び捨てか。

それかあだ名か。

私自信ここの塩梅がとても苦手で、出会って最初の2か月間、短くて数週間は「あ、あの~、ごめんなさい、どうも、えっと」と口がラクダみたいにもごもごなってしまう。

 

相手の名前を呼ぶことは非常に勇気がいる。

名前は一番大事な、自分の芯となっている部分だから、気軽に呼んではいけない気がする。

相手は呼び捨ては嫌いかもしれない。名字が嫌いかもしれない。渾名で呼んでほしいかもしれない。でも渾名が嫌いかもしれない。

でもきっと、相手はそんなに気にしていないのだ。呼び捨てで良いよーとか、〇〇って呼んでね!とか色々言ってくれるけど、それもちょっと困ってしまうし。

 

こうやって相手に心を開くまでの時間を伸ばし伸ばしにしてしまっているんだなあ。

 

 

でも、相手の名前を気軽に呼べるようになることは、人間関係が良好なことを表しているのだと思う。

例えば、恋人同士、お互いの名前をたくさん呼び合うカップルは長続きする、みたいなことをよく聞く。確かに、恋人には、キミとかアナタとかよりも自分の名前で呼ばれたい。その前に私の名前を丁寧に呼んでくれる恋人がほしい。

 

恋人だけじゃなくて、友達とか知り合いとかもそうだ。

相手を名前で呼ぶときに困ってしまう人とは、いちいち気を使ってしまうので、うまくやっていけない気がしてしまう。

 

 

ここで私の名前の話をしよう。

 

名字は、まあいたって何の癖もない日本人にありがちな名字だ。

でも、問題は名前である。

決してキラキラネームではない、むしろシワシワネーム寄りであるが、一発で正しく呼んでくれた試しがない。

2回くらいチャレンジしてくれるが、3回目で「ごめんなさい、なんて読むんですか?」と聞かれ、読み方を伝えると「へえ~、この漢字でそう読むんですね!」と感心されるのがお決まりのルートだ。

人生で300回はこのやり取りをした。

それか、逆パターンで、漢字で書かれた名前を書面上で見た時、「え、君の名前そういう漢字でそう読むの?」と質問された回数は400回を超えるだろう。

 

 

一度幼稚園生の時、グレたことがある。

初めて行く場所だった。たぶん何かの教室だった。

点呼を取るとき、正しい呼び方をされるまで無言を決め込み、返事をしなかったのだ。

 

その先生は6回くらいチャレンジした後、何かを察したのか、私のところまできて、名札を確認し(名札は平仮名で書いてあった)教卓に戻り、7回目で正しく呼んだ。

そこで私はやっと返事をした。

私も先生も、とてもうんざりとした顔をしていたはずだ。  

 

 

自分の漢字の読みにくさについて散々文句を言っているが、私も同じように、他人の名前をちゃんと読めるか自信がない。

 

特に男の人の名前は難しい。

線文字Aを解読しろ、と同じくらい読めない。

稔さんは、どう頑張っても「ウネリ」と読んでしまう。「捻る」と似てるから、錯覚してしまうのかなぁ。

他には、良い例が思いつかないので歴史上の人物を挙げるが、頼朝とか尊氏とか家康とか、日本史や一般常識を何も知らない状態で一発で読み方を当てろ、と言われたら、正直、読めない。逆に、読める人いるん?

 

 

誰も一発で読んでくれないけど、それでも私は自分の名前が好きだ。

 

由来がまず良い。

日本人という感じがする。

日本語の起源をたどっている気がする。

あとちょっとおこがましいけど、名前にあう雰囲気の人に、多少なりともなれている気がする。いつもヘラヘラしていて、面白い話が好きで、楽観的な性格になったのも、この名前のせいかもしれない。

 

やはり名前は、自身の生き様を表しているのだろう。

そしてその人の生き様もやはり、名前に左右されているのだろう。

 

 

みんなの名前の由来、知りたいなあ。

 

それでは。