2.みてきいて

 

趣味シリーズ第2弾は「受動的な趣味」について。

 

 

受動的は、、何だろう、良い音楽を聴いたり、友達のお話を聞いたりすることかな?

クラシックのコンサートも好きだし、この曲のここが良かった、なんて話して歌いながら帰るのも好き。

友達の恋人の話、愚痴、面白い話、今やっていること、なんでも楽しい、へえ~そういう人もいるんだねとか、あ、こーゆーやつ私の友達にもいるわ!とか。

 

私は口下手だから、他人のお話を聞いて相槌を打つ方が得意だったりする。

でも今日はお世辞か知らんけど話面白いねと言われたので、うれしかったり。 

 

 

反対に、自分は相談に乗ったりアドバイスすることが死ぬほど苦手だ。

 

前に人に

「ショウコはなんでもかんでも『ま、そういうときもあるよ』で終わらすから、もっと他人のことを親身に思って考えて。ちょっと傷ついた」

みたいなことを言われたことがある。いや、知らんがな。

 

たぶん相手の部活(運動部で、私の全く知らない世界だった)についての相談事で、相手の気持ちがわからなかった。というか、理解する余地がなかった。

正直その時、その人の悩みなんて心底どうでもよかった。私にはもっと他に悩むべきことがあった。将来について、勉強について、部活について、とか。そいつに構ってる暇はありませんでした。チャンチャン。

 

でも他人の悩みとか相談事を聞くのは好き。私に相談したところで何も解決しないけれど、相手はスッキリするし、私も面白いなぁと思うから。

ただ単に、おしゃべりも好きだけどね。

 

 

 

あと景色を見ること!

この前行った展望台は最高だった。

久しぶりに空に近づいた気がした。

雲がもんじゃみたいに平で、うすーく伸ばされていて、車はトミカみたいで、人間も動く米粒のようで、自分が宙に浮いているようで、窓を覗き込んだら後ろから押されそうで、不思議な、でも何かで満ち溢れたような気持ちになった。

ここでも、友達たちと「あの雲は豆腐みたいだね」とか「あそこに見えるのは木星だね」とか、ちょっとポエミーな会話をした。

本当に、素敵な友達と巡り合えたなあ。 

 

 

あと美術館で一つの絵をずーっと見続けて、その絵を見ている人たちも一緒に観察することも好きだ。

数年前の国立新のルノワール展は適度な混み具合で、学校帰り制服で、ムーランドラギャレットの前のベンチにずっと座っていた。

空調が効いていて、程よい静けさと暗さ、絵を照らす控えめな照明が何とも言えない空気を生み出していた。

あれも夏だった。

カンカン照りの夏だった。

 

今日行った、上野の森美術館エッシャー展も、最高だった。

エッシャーはだまし絵で有名な20世紀の画家なのだが、彼の代表作は後期に集中している。

わたしは初期の作品が特に好きだった。

マグリッドの初期作品と通じるものがあった。

なんというか、ぱっと見は普通だけど、よく見ると、顔が歪んでいたり、普通ではない形をしていたり、絶対にそこにはあってはならないものがそこにあったりして、心の隅っこがムズムズするような、でもそれと同時に、削りたての石鹸のような美しさと均衡が保たれている絵だった。

 

今日一緒に行ったえくぼ持ちの友達に

「これってマグリッドと似てるよね?」

って言ったら、通じた。

 

実は、数年前、国立新美術館で開催されていたマグリッド展も、この友達と行ったのだ。

 

 

なんて素敵なんだ!!!!!

 

数年前一緒にいった美術館の内容をほのかに覚えていて、それを数年越しに、違う場所で、お互いが成長した時点で、違う絵を見ながら、過去の絵を思い出し、それについて語り合う!!!

 

これを、私は、恋人と言う人間とやってみたいのだ!!!

 

 

www.escher.jp

 

 

受動的な趣味には、思い出す行為とか、語り合うという行為あってこその趣味なんだろうね。

 

 

 

それでは。

 

 

 

 

おまけ、今日の1枚。

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