3.かく、ひく、そして
今回は引き続き趣味の話、そして最終回。
「生産的な趣味」についてです。
生まれた時からずっとペンを握りしめていた、と言っても過言ではないほどずっと絵を描いている。
裏が白紙のチラシとか、お中元が包まれていた紙、画用紙、裏紙で作ったメモ用紙をカゴの中に積み重ねて、描きたい時はそこから紙を引っ張り出してきて、ボールペンとか鉛筆とかクレヨンとかマーカーとかクレパスとか色鉛筆とかでグリグリ描いていた。
小学校でも自由帳と友達で、外にドッチボールしに行くよりかは屋内で自由帳と向き合う方が好きだった。ここから私のインドア生活が始まった。
中高でも授業中暇さえあればノートの隅に落書きしていた。
世界史のノートは、今思えば傑作で、友達に「え~スゲェ、可愛い」と褒められた。(但し受験期だったことを忘れてはならない)
ピョートル1世とスレイマン1世の似顔絵が得意だった。
大学のみんなに見せびらかしたいなあ~!
好きこそものの、というわけで、高校の時には部活のTシャツのデザインや文化祭のキャラクター、何かのパンフレットの表紙とか挿絵とか、色々描かせてもらったりした。過去の栄光だけど、自慢だ。
ありがたいおはなしです。
でも絵というものは実は2種類あって、
「完全な自己満の絵」
「他人に見せるための絵」
がある。
簡単に言うと前者が日記、後者がSNSだと思ってほしい。
日記は自分以外の誰にも見せたくないし、自分の嫌な部分も好きな部分も嘘も本音も全部いっしょくたになって紫と深緑がまじりあった絵具みたいだ。
SNSで本音を全てつぶやいていたら、それはつまりは社会的死を意味する。少しだけ、世間体とか万人受けとか八方美人とか需要と供給とかを意識して作られている。
だから、世界史のプリントの落書きも、あれは誰かに見せるていで描いていた。
だから、他人に見せることができたのだ。
本当に自己満の絵は、鉛筆でちいーさく隅っこに描いて、授業終わりには消しゴムで跡形もなく消されていた。
残しておけばよかったかな。
もう一つの生産的な趣味は、楽器の演奏だ。
音楽は、楽器は、オーケストラは、一種のパフォーマンスだ!みたいな話は昔した(はず)なので、詳しくはこちらを。
音楽って本当に魅力的で、今の自分の感情を直接表現すること(作曲したり、その気分に適切な曲をおもむろに弾き始めることとか)は難しいけど、曲を弾きながら楽しい思い出、辛い思い出、大好きな友達や家族、熱烈な思いを馳せる相手のことを考えながら曲を弾くことはある。
この曲を聴いている観客の中に、家族はいるかな、アイツはいるかな、来てるかな、私のこと見つけたかな、とか。
私はこの曲をこう思いながら弾いてるけど、コイツはどう思ってるのかな、とか。
演奏中に余裕があれば周りを見渡して、いい表情をしている人を見つけてはニヤニヤしている。
演奏中のみんなの表情、本当に好きだなあ!一生懸命で、眉間にしわが寄ってて(音程が悪くて、とかじゃなくて、何かを表現しようとして眉毛が饒舌になっている状態を指す)、汗を流して、身体全体で音楽していて!
もう一つ、これから先趣味になりそうなのが、写真撮影だ。
数日前の投稿でも書いた通り、先日、カメラを購入した。
これが意外と難しくて、いやもう、意外というか、死ぬほど難しくて、どう頑張っても上手い写真が撮れないので、修行が必要です、、。でも、良い趣味になりそう!
この3日分のブログで、私の趣味のほとんどを紹介した、といっても過言ではないくらい趣味について書いた。
2回目のブログで登場した、えくぼ持ちの友達と話した結果、
「友達でも恋人でも、趣味が合うか合わないかは人間関係に大きく関わる」
ということが分かった。
実際、仲良い人は結局みんな美術館が好きだったり、他人の話を聞くのが好きだったり、お散歩が好きだったり、クラシック音楽に精通していたり、これらが自分は好きではなくてもそれを拒否せずに受け入れてくれる人が多い、ような気がする。
この友達は恋人とものすごく趣味が合うらしい。
正直羨ましい。
正直自分は多趣味ではないし、これだけ趣味について語っていても好きという感情が先回りしてしまって知識も蘊蓄もないので、なんだかやるせない気持ちになるときもある。でもその分伸びしろもあるし、まだまだこれからもそれぞれ楽しめそうです。
それでは。
PS たま~に絵を描いて上手くできたやつをTシャツとかにして販売してたりします。気になったら買ってください。たぶん可愛いです。
こういうTシャツほしいなあとかあれば、リクエスト受付中です!